
人はどのように物に対して「良い」と評価するか。
「職人」と「ファッション」というのがまず考えられると思いました。
職人的な審美眼はそのものが生まれる過程が、他の物を作る過程よりいかに難しいかが、かっこいいとか美しいとかにダイレクトに変換されるものである。よって、生成行為に難易度が高い領域、たとえば、料理とか裁縫とか大工なんかが好きだったりして、革製品とか建築のディテールを愛す人の感覚。彼らは、ある種マゾヒストで、時の止まった清らかな精神性を求め、同じものを一生つくってきた老人とかを称賛する。それはモラリストの感覚であるが故に保守的でもある。
ファッション的感覚はもっとも相対評価主義である。これの本質にはフェティッシュ(物心崇拝)があり、それが相対評価をするための情報を手に入れることの原動力となっている。彼らの多くは新しいもの、ただし、ある流れに身を置いていて、ほかの作品などとの関連性が見出せるものを愛す。つまり、差異を求め続ける態度という言い方ではなく、差異の氾濫した世界に現れる類似性の世界を実は愛すのがこの感覚だ。
ファッションが新しさを基盤にしているため保守的職人的なものの審美眼を強く持ちすぎている人とは時折バッティングする。それゆえこの二つのものの見方は面白い。これらは「物」としてある対象を評価する感覚だ。
しかし、人はもうちょっとごりごり物を見ていくと、概念でものを見る、形而上学的な審美眼が備わってくる者もいるだろう。これは、前2つの感覚の不安定さというか危うさ、つまり職人的本質の論理的脆さ、ファッション的な美の時に対する脆さを嫌う感覚であろう。それが故に「物」の中から「事」を見つける感覚ともいえる。彼らは歴史などを用いて概念を相対評価する。まったく美しくないとおもっても、歴史的に意味があると思ったり、概念が新しい物の見方を提示していれば、なぜだか良いとおもってしまう不思議な感覚である。
身体的に良いという感覚もあるだろう。ある空間に身を委ねたときふと良いと思う。物や事じゃなくて「状況」に対する評価。色々あります。
良いって何だろう。これは迷宮です。それが故にまったく辛いと感じる時も楽しい時もあるのです。ある人にリンゴを差し出したとき、物として事として状況(場)として人は評価する。人と「良い」何かについて議論する時に、こういう違いがあることをお互いが認識しながら話す話はおもしろいのだ。




久しぶりに千種さんのblogを通して拝見したら、(勝手に)はげしく同意してしまいました(特にここから最近の記事)。
デザイン密度が高いとか、デティールが綺麗だとかの「いい」は一つのジャンルでありますけど、それが常ではないですしね。。。
倫理観の話も、すごく分かりやすくておもしろかったです。
フォルマリスムの記事を読んで、千種さんといえばのコールハースがSMLXLで、ミースの両義性をすごく言っていたなと思いまだしました。「無を表す物が実態と関係づけられ重い物が浮遊感と隣り合わせで存在する」とかたしかそんな感じの言葉で、かっこいいなと以前に思いましたが、未だに自分の実感としてわかる気がするのはバルセロナ・パビリオンくらいです。。。
o hi sa shi bu ri desu
FOAはたのしいですか?
僕もよく、北村のブログ読んでるよ。ほんと、文字心あるよなー。いろいろコメント突っ込もうと試みてるんだけど、いい言葉が出てこなくて毎回あきらめてます。
僕は最近は忙しいんで書く時間がないというより、考える時間がなくて文章書かなくなっちゃいました。いい文章を書いてる時はニートだったと解釈したらいいと思います。
帰国したら帰国パーティーでも開いてください。いくんで。
あと、リンクはっとくわ。
私の文章は知性が感じられないので、千種さんのものの書き方がうらやましいです。
今はばりばり働かれてるみたいでびっくりです。
インターンよりは仕事は楽しそうですよね。
痛いのを顧みずに自分で帰国パーティー開きますから、会った時に近況をきかせてくださいね〜。
あ、「インターンよりは」に深い意味は全然ないです。
FOAでのインターンもそれなりに楽しいけど、やっぱり責任がある所員さんの方が楽しそうだと若干思うので。