すごい好き。どっちも。あげあげ
エロ本収集家のクリス・カンニンガムがジュリアナと気分的にシンクロしてもなんら違和感はないですよね?
どっちも聖なる儀式を思わせますね。
かなりBPMもかぶるよーな?一緒にみろってこと???はーどこあ杉っ!
嗚呼、視覚芸術万歳

すごい好き。どっちも。あげあげ
エロ本収集家のクリス・カンニンガムがジュリアナと気分的にシンクロしてもなんら違和感はないですよね?
どっちも聖なる儀式を思わせますね。
かなりBPMもかぶるよーな?一緒にみろってこと???はーどこあ杉っ!
嗚呼、視覚芸術万歳


好き!だからいじめちゃう。子供、特に少年によくみられるこの行動様式はほほえましいが、大人がやると、「めんどくさい奴だ」と扱われてしまう。
これはイメージの問題で、子供の好きだからいじめるのは純粋、大人は純粋じゃないから使ってはいけないという社会認識によるもの。
さて、私はこの逆説の詩性とでも呼べる行為を大人なのに成立させたい。こういうの、めっちゃ好き。というか社会のコミュニケーションはこれぐらい回りくどくあってほしい。目で見えること、耳で聞こえること感じることなどなどが常にまったく正反対の意味合いを示している可能性を了解して交流する社会圏で生きてみたい。効率は悪いが世界は広くなる。
しかし、実際の社会だと、逆説の詩性を使うと、ここまで理屈がわかってやっている時点で皮肉の意味合いにとられちゃうことがほとんどだ。
おそらくアーティストなら、アーティスト→純粋→逆説の詩性オッケイとなるのだろうな。本気でうらやましい。皮肉は一般的に隠語のような働きを持っているから使う側が意識することで発動されがちだと思われているけど、むしろ感知される度合いの方が多いんじゃないだろうか。