先日行った、原広司の講演会の自分が書いたメモがたまたま目に入ってそこに、
「概念を建築にすると物。物は現象として現れる。」
と書いてあって、その下に
「紙はものだけど、火をつけたら燃えるじゃないか。」
とあった。
この例はすごくいい。現象は認知の問題が大きいので、左脳が重要。原先生は、それを「記号場」と呼んでいた。これは現代であれば、普通に建築を考えていけば、この二項対立は絶対ぶつかる本質的問題。
都市計画でいうと、丹下は物を考えた人で、槇は現象を考えた人。これがこの投稿の本題です。
これを槇の言葉でいうと、丹下は「メガフォーム」で槇は「グループフォーム」。同時期にメタボリズム運動で両者は括られていたから、同じ発想を違う形でしていたとばかり思っていたが、どうやら根本的に違う発想をしていた事を今日発見した。(今は亡き10+1最終号をよんでいたら。)もしかして基本なんですかね。
つまり、槇文彦は「建物やそれに類する集合ー都市の一部」として「集合体」と呼ぶものを「コンポジショナルフォーム」「メガフォーム」「グループフォーム(群造形)」に分けて考えており、要するに、「コンポジショナルフォーム」ってのは各要素(これは主にものとしての建物)間を相対的に関係づけ、「機能的、視覚的、象徴的に満足すべき集合か」を定めていくもの(例えば、ブラジリアやシャンディガール)で、ここではあまり重要でない。後の二つが重要なんだけど、前者/メガフォームは剛構造、後者は柔構造として捉えれば良いと思います。ここでいう剛構造は、ある建物、もしくはそれの集合同士を強いストラクチャーで緊結することでそれらが一つの秩序に収束していくという物のことで、「東京計画1960」は、まさにこういったメガストラクチャー。仮に建築が代謝を起こして新しい空間を付加させたいとき、元のストラクチャーの秩序に収まる形で新しいパーツが付加する。これは黒川にしても菊竹にしても、こういうものを目指したわけだが、槇だけは柔構造を目指したわけです。(というか、この槇の提案は他のメタボの作家の提案の根本の部分を同時期にこっそり批判する案のようにみえてしょうがない。)そこで、グループフォームってのはなんぞや、と。
第三の<かた>は、槇の言葉を借りれば、「結合要素間に存在する強い共通因子をもった要素の発見を前提とした集合」を指す。すなわち各要素とつなぎ手(linkage)の間にお互いフィードバックがあり、相互補完的性格を持つ。つまり、ストラクチャーの部分に文化的背景(例えば、日本でいうと奥性のような宗教観からくる都市構造))や風土性のようなものなど、また、現代的な商業空間の日本人の好みとかが反映されるようなもの。このようなものの具体例としてアルド・ファン・アイクの孤児院が挙げられている。また、このような発想の原点には、エーゲ海の島々の街や北アフリカの村落等、後におこるヴァナキュラー建築主義、地域主義があるようである。
ここに提示されたのは、建築の新しいモデルであったり、建築が代謝するとかしないとかじゃなくて、建築の集合の仕方自体を問うという、極めてスーパーモダンで本質的な視点、メタ建築的とも言える提案であった。この視点で行くと、コルビジェは極めて単純なモデルしか提出できていないと言える。この点で、確実にciam的モダニズムを意識的に乗り越える事に成功しているように思える。「われわれは複合体として現況の構築物をまずとらえることにより、逆にはじめて単体の建築のもつ意味を新しく認識することができることをようやく知りはじめようとしている。」
かっ、かっこいい(惚)。
そこに所謂メタボリズムとの断絶があった事は、本人も認めるところである。「日本のメタボリズムが、どちらかと言えばメガストラクチャー志向だったのとは、かなり違う。私の立場は、アメリカにいたこともあって、CIAMの非常に単純で教条的でもある都市理論みたいなものに反発するチーム・テンの人たちに近い。もっとリー ジョナル(地域的)で、ヒューマンで、人間の行動を中心にした新しい都市・建築空間のあり方があるのではないかと考える方向に進んでいったのです。(ttp://www.rs.noda.tus.ac.jp/~masato/ca_g/review_22/index.htm)」
槇は、古くなった建築を取り替えるというものではなく、人と空間のコミュニケーションによって「都市性」を刷新していく新陳代謝/メタボリズムを目指した。都市性とは、プログラムや行為の質と空間の時代的対応である。都市性の美学とは、「そのものの機能の存在を空間の中で象徴しうるとき<最も美しいかたち>を獲得したという事ができる」というもの。このような槇の様々なグループフォームのプロトタイプは、「散逸するアイデンティティーの蓄積としての建築であり、都市をもののコンポジションとしてではなく、『ことが起こるひとつのパターンとして』記述されている」ものである。
槇は、以上のような「グループフォーム」というアイデアを根幹にすえ、その後のアイデア(例えば「奥性」などにみる日本のヴァナキュラーな都市エレメントの研究)を発展させていく。
ちょっと話がそれるけど、いつか友達に話した僕の軽い仮説があって、そのままペーストすると、
「多木浩二の「生きられる家」の中で、上田篤という人の論を引用していて、西洋は博物館型、日本は劇場型といってて、西洋は部屋自体を象徴的に扱うけど、日本人は振る舞い、しぐさが空間を規定するといってる。たとえば押入れがあってそこに布団やらなにやら入れておいて空間の使用がパンパン変わっていくようなことなど。これは結構、今の、ふわふわ系の流れとの関係性があるのじゃないか。確かに、石上とか家具を置く場所を規定するような作り方をしているけど、それらはどれもめちゃくちゃ軽い装いです。いままで、しまったり出してたりするものをミースの理念(ユニバーサルスペース)とかけて、平面的に展開したともみれないか。逆に西洋の建築がますますモニュメンタルなものを求める態度は部屋をフィックスさせて象徴化した流れの系譜からではないだろうか。」
というものがあって、後ろの方は関係ないんだけど、「グループ・フォーム」は、こういう上田の言う日本(アジア的とも言えるかもしれない)の「劇場的性質」と非常に相性が良かったように思える。
グループフォームはその後レム・コールハースのシンガポール論によって再評価される。
評価されたポイントは、(1、2は槇だけではないけれど、)
1. 当時のヨーロッパの建築家が敬遠していた「量ー集塊 という中心的課題から目を逸らさ」なかったアジア的特性
2. 商業空間を公共空間そして都市の可能性として見た事
3. 現在のグローバル・シティー、特に中国のタブララサ→開発の都市のモデルとなったシンガポールの都市計画の重要な理論家(city roomというアイデア。ちなみにこれを使って大野研が「中国」でかなり前にコンペとってた(入賞とか?)のも興味深い)であった事。
これらのことで重要なことは、建築史的にはモダニズムで「モノ」だった都市計画におけるポイントが、槇・アイク・チームテンあたりで「現象」にシフトして、シンガポールのタブララサな都市計画(60年代)に受け入れられたってことですかね。その後、また「モノ」に戻っていく流れに今はありますね。ってことは、「現象」をやっとけば10年先取りできるんじゃないですか。
やばっ。原広司のところだけ書こうとしたら、こんなに書いてしまった。あーきもい。頭まとめたかったんです。5時間かかったけど………。
以上の参考文献
槇文彦/記憶の形象(集合体とアーバン・デザイン)
レム・コールハース(訳太田佳代子八束はじめ)/シンガポール・ソングラインズ
多木浩二/いきられた家




















