2008年7月のアーカイブ

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物 <ー> 現象 

In 建築, 都市 on 7月 23, 2008 : chiguhagu

先日行った、原広司の講演会の自分が書いたメモがたまたま目に入ってそこに、

「概念を建築にすると物。物は現象として現れる。」

と書いてあって、その下に

「紙はものだけど、火をつけたら燃えるじゃないか。」

とあった。

この例はすごくいい。現象は認知の問題が大きいので、左脳が重要。原先生は、それを「記号場」と呼んでいた。これは現代であれば、普通に建築を考えていけば、この二項対立は絶対ぶつかる本質的問題。

都市計画でいうと、丹下は物を考えた人で、槇は現象を考えた人。これがこの投稿の本題です。

これを槇の言葉でいうと、丹下は「メガフォーム」で槇は「グループフォーム」。同時期にメタボリズム運動で両者は括られていたから、同じ発想を違う形でしていたとばかり思っていたが、どうやら根本的に違う発想をしていた事を今日発見した。(今は亡き10+1最終号をよんでいたら。)もしかして基本なんですかね。

つまり、槇文彦は「建物やそれに類する集合ー都市の一部」として「集合体」と呼ぶものを「コンポジショナルフォーム」「メガフォーム」「グループフォーム(群造形)」に分けて考えており、要するに、「コンポジショナルフォーム」ってのは各要素(これは主にものとしての建物)間を相対的に関係づけ、「機能的、視覚的、象徴的に満足すべき集合か」を定めていくもの(例えば、ブラジリアやシャンディガール)で、ここではあまり重要でない。後の二つが重要なんだけど、前者/メガフォームは剛構造、後者は柔構造として捉えれば良いと思います。ここでいう剛構造は、ある建物、もしくはそれの集合同士を強いストラクチャーで緊結することでそれらが一つの秩序に収束していくという物のことで、「東京計画1960」は、まさにこういったメガストラクチャー。仮に建築が代謝を起こして新しい空間を付加させたいとき、元のストラクチャーの秩序に収まる形で新しいパーツが付加する。これは黒川にしても菊竹にしても、こういうものを目指したわけだが、槇だけは柔構造を目指したわけです。(というか、この槇の提案は他のメタボの作家の提案の根本の部分を同時期にこっそり批判する案のようにみえてしょうがない。)そこで、グループフォームってのはなんぞや、と。

第三の<かた>は、槇の言葉を借りれば、「結合要素間に存在する強い共通因子をもった要素の発見を前提とした集合」を指す。すなわち各要素とつなぎ手(linkage)の間にお互いフィードバックがあり、相互補完的性格を持つ。つまり、ストラクチャーの部分に文化的背景(例えば、日本でいうと奥性のような宗教観からくる都市構造))や風土性のようなものなど、また、現代的な商業空間の日本人の好みとかが反映されるようなもの。このようなものの具体例としてアルド・ファン・アイクの孤児院が挙げられている。また、このような発想の原点には、エーゲ海の島々の街や北アフリカの村落等、後におこるヴァナキュラー建築主義、地域主義があるようである。

ここに提示されたのは、建築の新しいモデルであったり、建築が代謝するとかしないとかじゃなくて、建築の集合の仕方自体を問うという、極めてスーパーモダンで本質的な視点、メタ建築的とも言える提案であった。この視点で行くと、コルビジェは極めて単純なモデルしか提出できていないと言える。この点で、確実にciam的モダニズムを意識的に乗り越える事に成功しているように思える。「われわれは複合体として現況の構築物をまずとらえることにより、逆にはじめて単体の建築のもつ意味を新しく認識することができることをようやく知りはじめようとしている。」

かっ、かっこいい(惚)。

そこに所謂メタボリズムとの断絶があった事は、本人も認めるところである。「日本のメタボリズムが、どちらかと言えばメガストラクチャー志向だったのとは、かなり違う。私の立場は、アメリカにいたこともあって、CIAMの非常に単純で教条的でもある都市理論みたいなものに反発するチーム・テンの人たちに近い。もっとリー ジョナル(地域的)で、ヒューマンで、人間の行動を中心にした新しい都市・建築空間のあり方があるのではないかと考える方向に進んでいったのです。(ttp://www.rs.noda.tus.ac.jp/~masato/ca_g/review_22/index.htm)」

槇は、古くなった建築を取り替えるというものではなく、人と空間のコミュニケーションによって「都市性」を刷新していく新陳代謝/メタボリズムを目指した。都市性とは、プログラムや行為の質と空間の時代的対応である。都市性の美学とは、「そのものの機能の存在を空間の中で象徴しうるとき<最も美しいかたち>を獲得したという事ができる」というもの。このような槇の様々なグループフォームのプロトタイプは、「散逸するアイデンティティーの蓄積としての建築であり、都市をもののコンポジションとしてではなく、『ことが起こるひとつのパターンとして』記述されている」ものである。

槇は、以上のような「グループフォーム」というアイデアを根幹にすえ、その後のアイデア(例えば「奥性」などにみる日本のヴァナキュラーな都市エレメントの研究)を発展させていく。

ちょっと話がそれるけど、いつか友達に話した僕の軽い仮説があって、そのままペーストすると、

「多木浩二の「生きられる家」の中で、上田篤という人の論を引用していて、西洋は博物館型、日本は劇場型といってて、西洋は部屋自体を象徴的に扱うけど、日本人は振る舞い、しぐさが空間を規定するといってる。たとえば押入れがあってそこに布団やらなにやら入れておいて空間の使用がパンパン変わっていくようなことなど。これは結構、今の、ふわふわ系の流れとの関係性があるのじゃないか。確かに、石上とか家具を置く場所を規定するような作り方をしているけど、それらはどれもめちゃくちゃ軽い装いです。いままで、しまったり出してたりするものをミースの理念(ユニバーサルスペース)とかけて、平面的に展開したともみれないか。逆に西洋の建築がますますモニュメンタルなものを求める態度は部屋をフィックスさせて象徴化した流れの系譜からではないだろうか。」

というものがあって、後ろの方は関係ないんだけど、「グループ・フォーム」は、こういう上田の言う日本(アジア的とも言えるかもしれない)の「劇場的性質」と非常に相性が良かったように思える。

グループフォームはその後レム・コールハースのシンガポール論によって再評価される。

評価されたポイントは、(1、2は槇だけではないけれど、)

1. 当時のヨーロッパの建築家が敬遠していた「量ー集塊 という中心的課題から目を逸らさ」なかったアジア的特性

2. 商業空間を公共空間そして都市の可能性として見た事

3. 現在のグローバル・シティー、特に中国のタブララサ→開発の都市のモデルとなったシンガポールの都市計画の重要な理論家(city roomというアイデア。ちなみにこれを使って大野研が「中国」でかなり前にコンペとってた(入賞とか?)のも興味深い)であった事。

これらのことで重要なことは、建築史的にはモダニズムで「モノ」だった都市計画におけるポイントが、槇・アイク・チームテンあたりで「現象」にシフトして、シンガポールのタブララサな都市計画(60年代)に受け入れられたってことですかね。その後、また「モノ」に戻っていく流れに今はありますね。ってことは、「現象」をやっとけば10年先取りできるんじゃないですか。

やばっ。原広司のところだけ書こうとしたら、こんなに書いてしまった。あーきもい。頭まとめたかったんです。5時間かかったけど………。

以上の参考文献

槇文彦/記憶の形象(集合体とアーバン・デザイン)

レム・コールハース(訳太田佳代子八束はじめ)/シンガポール・ソングラインズ

多木浩二/いきられた家

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無題

In 建築, 美術 on 7月 10, 2008 : chiguhagu

フランチェスコクレメンテやっぱ求心性。

ミケルバルセロ フィフティーンホールズ 多中心

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ピナ バウシュ

In ダンス on 7月 9, 2008 : chiguhagu

ユリイカの1995年、ピナ・バウシュ特集をつまみ読んだので文章でも。

実はこのブログ、めっきり建築系ブログになっとりますが、当初はダンスについて書きまくってやりたいと思って始めました。結局、言葉にならないもの、というより言葉になる事を拒否するような振る舞いを文化こそ魅力を感じて、そこにエロス感じちゃったりする事が多くて。

案の定、難しくて断念しちゃうんだけど、こっそりと日々、沸々と言語から遠ざかったものの分析に燃えてるわけです。そもそも、僕はダンスでも建築でも音楽でも文化の中心的価値に置いてるものとは、「多くの批評を呼び、それに耐えうる(消費され尽くさない)もの」が価値がある、という事です。藤枝晃雄 がそのような意味で、アールヌーボーよりキュビズムの方が重要、みたいな事を述べていましたが、このような考え方にはかなり賛成しています。物である建築においても、同様の評価をしています。ちょっとこの「批評」という言葉には嫌いがあるけど。話題になるってそれだけでとにかくすごい! なんだかんだで、噂される事が仕事の芸能人はその人間性如何に関わらずとりあえず能力が高い、すごい!みたいな。まず、そこを最低ラインとしてから好き嫌いをいっていく。誰も知らないマニアックなグラビア・アイドルよりメジャーなグラビア・アイドルを語りたいっていう、みうらじゅんやリリーフランキーの「グラビア魂(spa!)」とは対立した発想ですね。 (あー、こんなこと書くから失敗するんだ。)

そういう観点で、おもろい文化はなんかっていうと、僕の場合ドンピシャでピナ・バウシュなんですね。

ピナはとにかく消費しずらい。要するにディテールとかも含めて理解すること自体が困難。では接点が無いかというと、そうでもなくて、日常的な、もしくは人生的な情動なるものの身体的表現(小林康夫的にいうと、そういう身体の存在)が、結構心に訴えてくるんです。これは僕の中で最上級の「左脳的芸術表現」。人生のシーンのアナロジーに過ぎないのに、どうやら心に届く。アナロジーの方が届く。そういうものかもしれません。それってすごい。

ピナは作品を組み立てるときにダンサーに絶えず質問をする。例えば、「クリスマスはどう振る舞うの」とか。そうして集められた人生の欠片のような、言い換えれば、物語における身体の挙動のサンプルをばさばさ切ってランダムにミックスしちゃう(これはポストモダニストが泣いて喜びそうに見事な脱構築と呼べる表現だと思う。)。こういうの完全に建築的にするとどうなるか考えたくなっちゃう。人生のシーンが象徴化(イコン化?)されて空間になんとか反映させたりみたいな。磯崎新→青木淳は結構、近いところまできてる。

以下、ユリイカから脈絡なく抜粋

浅田彰

「確かにピナのやっていることというのは、既に死んだ記号となって積み重なっている物語生とか様式生とかを適当に引用してコラージュするということなんだけども、表層的な記号のコラージュをポストモダンと呼ぶとすれば、それはその意味でポストモダンではない。ある生々しい何かーもちろん古典的なバレエやダンスのコードからも落ちこぼれてしまうような、生々しい身体とその情動がそこにあって、それが彼女のタンツテアターの不可能な核みたいな物を作っているんじゃないか」(p167)

「ただ、面白いのは 〜 そこで、なぜ泣いたか、なぜ笑ったか、と言った理由をー言い換えれば物語をー切断してしまうんです」

畠中

「モンタージュの技法は、生の連関の総体から一つの要素を抜き出す。モンタージュによって、その要素は孤立させられ、個の要素から機能を奪うことになる。」(p158)

「ベンヤミンが「映画フィルムの映像のように、ワンショットずつ進行する」と表現する「叙事的演劇」のように、ピナ・バウシュの作品は場面と場面とを結びつけていく」

ピナ・バウシュ

「私は、人間がいかに動くかということにはそれほど関心がありません。むしろ関心があるのは、何が人間を動かすのかです。」

ヨッヘン・シュミット

「60年代後半、何かがヨーロッパで起こったのであれば、それはダンスにおけるこの人間像の刷新だったのです。そこでは、ダンサーはもはやたんなる動きの担い手ではなく、感情や気分の担い手でもあったのです。」

小林

「むしろ我々の存在、しかも身体というこのあまりにも人間的なカテゴリーのもとにおかれた存在が必然的に形態的でもあり、情動的でもあるという事を 考えてみなければならないのだ。我々の存在は身体的であり、同時に根源的に情動的である。すなわち、根源的には、情動は表現の領野ではなく、存在の領野に 属しているのだ。」

建築家が、感情や気分の担い手になれるだろうか?まぁ僕は成りたいタイプだけど、凄まじく難しい。てかダンサーと建築家が役割を共有できるはずもなく。でも、保守・右翼たちに囲まれた固い常識と社会倫理地獄と、ピースでバイオレンスな演劇的な世界の境界を作ってやったりすることは少なくてもできる。そこで感情ぶちまけろ的な。まぁそう言うのが好きってわけでもないんだけど、って優柔不断な態度で申し訳ないですが。

僕がよく行ってた飲み屋はすごくそれを実践してるの。細長い平面のお店の真ん中でカウンターをバチーンと置いて、お酒作る方とお酒飲む方にわけられてる。そして、客側のうしろに掛けられているコスプレ道具(ブルマとか)がその領域を横断する際、非常に有効に働くわけです。というか振る舞いを喚起する。すなわち、女の子(客)とかがセーラー服とか着るとお酒を作る側にまわっておしゃべりをする。この切り替わりを誘発してるのは明らかにバーカウンターとコスプレ衣装だ。こういうのは普通のアフォーダンスでは無いとおもいます。もっとディープで特殊な。ってピナバウシュ関係無いけど。

あと、ゴールデン街にも面白い構成の飲み屋があって、これも狭い店なんだけど、真ん中(前例で言うバーカウンターの位置)が通路でママがいて、両側にお客。それも強制対面式。あれもすごく良かった。結局僕らは場に要求されないと、普通、情動も糞もないから。要求されなくても勝手にやってる人たまに居るけど、あれはどうだか。

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In 建築 on 7月 9, 2008 : chiguhagu

め モ

建築にとって、

purityはとってもとっても大事だけど,simplicityは全くもって退屈〜。

purityは言葉にするともうだめなの。

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渦まく建築

In 建築 on 7月 2, 2008 : chiguhagu

伊東とよおとセシルバルモンドの講演会に行きました。

伊東とよおはセシルバルモンドにプレゼンしてる節もあり、彼のプレゼンは仙台以後、アルゴリズムスタイルにどう変わっていったかが非常に分かりやすく説明していました。

非常に興味深かったのは、「渦」の話で、簡潔に言うと、川に渦が発生した時、建築家は普通、そこに杭を打とうとする(モニュメントを作る)。または、そっと流木を置く(地域主義)。それに対してかれは、渦そのものみたいな物を作りたいらしい。これは、ユニバーサルスペースに時間の概念を入れていったときに生まれる様相と考えると分かりやすいかも。

その話は、彼の透明性に対する興味から生まれてきた物だろうと憶測できます。伊東は昔から繰り返し、物質的透明性をやればやるほど、内外の境界は強く感じられてきたと述べています。そのようなジレンマを吹き飛ばすようにせじま和代が曲面ガラスを携えて登場したわけですが、曲面のガラスが内外の境界をできるだけ無くしたいための曲面だという話を考えると、びっくりするほど問題意識が共通しているんです。そこで、伊東は物質的透明性をせじまに任せて(藤森てるのぶがいっていた。)、渦(運動や時間のともなった虚の透明性の一種なのでは?)に走ったってことですね。(ここが難しくて、方法論としての極めて高い重要性は置いておいて、造形として渦は単純にメタファーになっているか、そうでないか(勿論本人は否定するだろうが)。)

物質的透明性を目指した時代から脱した直接的要因はセシルバルモンドである事は間違えが無いが、僕は渦というメタファーを獲得した事自体が彼にとって重要だったのではと思いました。彼をアルゴリズム全般を扱う人というより、アルゴリズムで「渦」を建築化する作家とみるとクリアに位置づけが見えてくるんです。つい一昨日まで、単純に、巨匠イズムに目覚めて表現主義ばりばり走ってますねーと思っていたが、透明性というキーワードが渦に変わって、アルゴリズムを用いた渦を直接的、間接的にせよプランに内包させていく、って言う弁証的な(ように見えるだけかもしれないけど)流れを考えると、すっと喉につっかえていたものが流れていきました。

台北でさえ渦のアルゴリズムがあるんだよね。なんか竜巻!とかのメタファー(といえるのかどうか?)になっている構造の奴もあったなー。傘が合体したみたいな図書館?。ちなみに、台北は仙台のチュープの発展とも当然見れますが、今思うと、ドミノシステムを再構築とかではなくて、柱さえ「透明」になったっていう「透明性」にかんする事件ってことかな。 そうかんがえると、todsとかはちょっと本流じゃないですねー。何だろうあれ。

っていうか勝手にどんどん解釈してるけど、大丈夫なわけ?とめてー。