頭が最近クリアになってきた!
最近のテーマ(脈絡はあまり無し)コンテンポラリー ポストモダン/キッチュ 倫理観 プライバシー パトロン性 聖なる性質
ところで、ロスのサイアークでうにょうにょアルゴリズム建築とかを勉強した友達に刺激されて気付いたけど、バーチャルアーキテクトとか、アルゴリズム建築っていうのは建築としてみるより、コンピューター・サイエンスカルチャーとかマスマティックス・カルチャー として見る方が自然だと思いました。そう考えると、これらが実作が異常に少ないにもかかわらず、アメリカで隆盛していて美術館(momaとか)に好まれるのもすごく納得できるんです。建築は作ってなんぼな考えが主流なので、作る動機が希薄なこれらの建築?は、論理的に弱いんでしょう。特に日本は文化という考え方が西洋に比べて明らかに幼稚なので、このような「建築」も社会のみならず批評界にも到底受け入れられないのです。そりゃそうだって感じです。
例えばこのお方 Hernan Diaz Alonso
http://www.xefirotarch.com/
非常に言ってる事が知的で好きです。amoのだしてるvolumeに、いつしか特集されていたのを読んだ事があります。文化として建築を眺めればポジティブな気持ちで理解できます。

まぁ、パソコンをつかったこういう建築にさまざまな意見があるんだけど、僕の考え方は、本質的なポリティカルコレクトネスと表現主義の差異に自覚的であれ、と。ウニョウニョ系は表現主義以上でも以下でもなく、たまに見かける方法論を取り出して社会に適応させる折衷案は結構無理があるのでは?ってかんじです。建築家が社会に貢献しなくては行けないというのは幻想で、特に社会は建築家にそういう事を期待していないでしょう。みたいな?
僕自身、こういう意見は挑発的に聞こえてしまうのだけど、その時点で建築批評の自己言及的な無限ループにどっぷりだ。だめ。自分を律して。
















