今年、春に訪れたイタリアのカプリ島マラパルテ邸について、鈴木了二の「建築零年」に興味深い文章が載っていた。
マラパルテの友人であるアルベルト・モラディアの書いた「軽蔑」の原作には、マラパルテ邸は当然出てこない。この建物を大文字の「建築」にのし上げたのはゴダールであった、と。建築家の観点から非常に説得力のある事実がある。

原作における カプリ島での一連の出来事、例えば『「砂浜」が(映画ではマラパルテ邸の)屋上となり、「広場」が階段となり、「ホテル」はホールに』なることにより、様々な場所での出来事が、一つの建築上の出来事に移し替えられた。これは、鈴木了二の言葉を借りれば『す べてが可能な「劇場」、つまり完結した世界』として、マラパルテ邸が使われた事を意味する。このような建築を、建築家は好んで「建築」とよんでいるのだ。
こういうの、‥‥‥‥。 はっきり言って、萌えますね。
と、言っても、それだけの好条件の建築があまり多くあるわけではないが・・・。











マラパルテああs