最近、k-fireの影響で、錯乱のニューヨークを読み直しています。
序盤で改めて分かった事は、コールハースの示した近代の越え方、ポストモダニズムのあり方は、無意識の近代化を建築家が意識化するという戦略であったという事です。
「(コニーアイランドに見る)公園論争は、健康的な施設を支持する社会改良主義者的アーバニズムと娯楽を求める享楽主義的アーバニズムとの間の対決である。」「水族館は、無意識に対する意識のモダニズム的復習である。」
に見るように、自然を征服する事や欲望を表象する事に対する意識、更に言うとデザインする事それ自体に対する意識と、現実にダイナミズムとともに急進したマンハッタニズムにおける「経済性」と「土地の有限性」に急き立てられた、無意識の本質的な「ズレ」。これ自体に潜む、一般的なモダニズムでは無い,近・現代性をレム・コールハースは宣言する。その上で、無意識的なデザインにもデザイナーが居る事を示し(本書ではその都度、そのような無名のデザイナーを天才と呼びベタ褒めする。)、そうした種のデザイナーとしての自らを「ゴーストライター」という名前で定義づけた。※原広司も集落形態は集合的主体の行ったデザインではなく、固有のデザイナーが居る事を宣言し、自分自身もそのように振る舞う事を述べている。ゴーストライターという言葉は、何故か錯乱のニューヨークの文脈でしか語られないが現代の建築家の職能を表す最も重要なキーワードだと個人的に思います。


左は1906年サミュエル・フリードにより発表されたグローブタワー。錯乱のニューヨークに出てくる、完全に世界と切り離された、独立構築物。http://www.westland.net/coneyisland/articles/globetower.htm
右は、ほぼちょうど100年後 レム・コールハースによって提案されたドバイのdeath star。もの凄い迫力。http://www.treehugger.com/files/2007/05/rem_koolhaass_d.php
現状の彼の作品は、 未だにゴーストライターを続けていると言えるだろう。他のstarchitectたちのゴーストライター化にも見事に成功している。それはつまり建築家の職能のレベルを超えて、世界が「マンハッタニズムのグローバル化」している、という事を言い表しているのだと思う。現在の世界の都市像=マンハッタン的都市スケープと言って良い現状が続いている。このような状況に一石投じるためにはグローバル資本主義との対峙は避けられず、うーん。難しい。コールハース自身が一石投じるという事はあり得るのであろうか?モダニズムと後期コルビジェの関係のように。
まぁ今更、一般認識を偉そうに書いて申し訳ないですが。この本よんでると、「これこそが現代建築家だ」という気概を持って、初心に 帰れます。









