2007年7月のアーカイブ

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videoguns

In 建築 on 7月 22, 2007 : chiguhagu

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EXYZT! フランスで習ったクラスの隣のクラスの非常勤講師でした。

そこら辺のグラフィックデザイナーより優秀なグラフィック作ります。

ボーダーレス。

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作家の顔

In 建築, 美術 on 7月 19, 2007 : chiguhagu

http://zahahadidblog.com/

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ザハハディドのアトリエのブログ。めちゃくちゃ、このおばちゃん、顔で自分を売ってってる! まぁ草間弥生も岡本太郎もいい顔ではないけど、睨むなりなんなり眼力で攻めてるけど、ザハは完全にアイドル路線です。洋服とかシャレてて。うん‥‥‥。かわいいよ。うん。

ところで、岡本太郎はカメラを向けられると、隣で話していた人を吹っ飛ばして、カメラに向かって、ぐっと睨むんだそうだ。作家って言うものは顔で売っていくんだよ、と聞かされた事が有ります。ザハもイスラム圏の顔っていうのがめちゃくちゃ顔に強みを作っていると思います。でも、そんな時代は終わったと、松井みどりのマイクロポップ展は語っていた。少なくても僕の周りでは万能性よりオタク性の方が流行ってるし、リスペクトされる傾向が有る。これは現代性か?

マイクロポップの定義のように、小さな政治を自分の出来る手法で実現する人たちという括りの中では作家の顔というのは必要無いように思えますが、国際的なマーケットを見ていると全然そんな事ないんじゃないかと思います。なんか前に書きかけたけど、マイクロポップ論について。松井みどりによると展覧会の作家たちは総じて進んだ芸術の傾向を作品化している人たちである。しかし、ではなんでこうも世界で日本ほど評価されていないか?最近カルティエでエグイ顔のペインティングの日本人の女の子の作家が大抜擢で評価されてたけどそれはマイクロポップでは全然ないんです。カルティエは新しい流れを作ろうとしていないのか?マーケットもそうなのか?マーケットの神髄は先物買いだから、これから文脈化される作家は売れるのではないか?(まぁそもそも売れてないとも限らないと思いますが、めちゃくちゃ売れては絶対無いというか。)大局を問わない事自体がマイクロポップ性に含まれるので矛盾しているようにも思える問いだが。うむむm。評価される事と売れる事は政治のレベルで違う位相に属しているのかな。また、それは評価という物の地域性を有効にしているのか。美術館とギャラリーの枠組みの違いとか。美術館も明らかにギャラリー化して来たと思うけど。

これは裏返すと、理論でもマーケットでも周縁的な性格であるものが現代的か(消費主義的な観点はこの場合除いたとして)、というよくわからん問題が生まれてきます。多分僕はかなりベーシックな部分が分かってないみたいです。

卑怯な答えかもしれないけど、個人的には、作品によるようなきがします。いい物はよくて、つまらない物もおこぼれもらっているような。作家が自分を売る方法に長けていれば顔も使うだろうし、そんな事しなくてもちょっとだけ売れればいいよとか。そんな事良くある話なんですかね。

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