
DAVID LYNCHが現存する映画監督の中で最高の監督だ。インタビュー集の「lynch on lynch」も相当お勧めします。リンチは自分の映画の抽象的な部分の説明を全くしないので、多数の解読本が出版されてるけど、それは所詮、わかりにくい話の筋の解釈なので、総合メディアである映画的な理解には到達しにくい。逆にインタビュー集はさまざまなアイデアが列挙されていてまとまりがないが、非常に共感できる類の話が多い。一番面白いと思ったのはこの話で、
「僕は盛り土が好きなんだよ。〜 そこに丸い木のダイニングテーブルがあってね。誕生日に,ペギーは何らかの理由で外出していて、ジェニファーと僕はバケツで土を運び込み始めた。そして、ダイニングルームのテーブルの上に1メートル20センチぐらいの山を作ったんだ。テーブルをすっかり土で覆ってね。それから、山に小さなトンネルを掘り、トンネルの前に年度の小さな抽象彫刻を置いた。そして、うれしいことに、帰って来たペギーもそれを見て大喜びしてくれたんだ。だから、テーブルは何ヶ月もそのままにしておいた。そして、土はテーブルの木を浸食していった。有機的な変化が始まったんだ。だから、ついに土をどけたとき,ベニヤはかなり焼けていた。それがまたいい感じだった。」
リンチの映画には盛り土が多々登場するのだ。ブルーヴェルベットのオープニングでの蟻のクローズアップシーンも同じ感覚であろう。幸せな予感のする、良く手入れされたアメリカ独特の庭。意味ありげに甲殻系の虫の集団がカサカサ音を立てて群れをなしている。寄せて撮ると、引いて撮っていた時には気付きもしないおぞましい闇の部分が 潜んでいるのだ。写真は草むらに落ちていた耳に群がる蟻。
また、インタビューアーのクリス・ロドリーが素晴らしいリンチの映画の説明をしている。
「フロイトが”怖い物の領域”(the field of what is frighthening)と名付けた場所に置ける異様さの属性は実際の恐怖よりは漠然とした恐れ、出現より出没の気配だ。それは、’平凡’を’非凡’へと変身させ、明らかに身近なものの中に、心の中のよそよそしさを作り出す。フロイトの言葉でいえば『異様というのは内密にあまりになじみ深いものだからこそ異様なのであって、それによって抑圧されるのだ』」
これは、僕等にもはっきり実感のあることだ。カフカの要素であり、フランシスベーコンの要素でもある。闇に対してフェードインして行く事で、馴染み深い違和感へと導くのだ。僕等がよく軽率に使う「本質的なもの」っていうのはこういう事について言い表す言葉として使ってはいなかったか?絵画を見たときおばちゃんが「なんだか知らないけどすごいわねー。」とか言ってるあれは、意外と彼女の中の/あまりにもなじみ深いもの/がその絵画との共有を起こしているのではないか。


ところで、中野本町の家は最高だ。いったことがないけど、一番好きな建築だ。夫をなくした設計者の姉が子供2人とともに住む家として設計者と共同で作り上げた家で、回遊性のある間取り(- ∞ -)の真ん中に植栽を施されていない中庭が作られる。この中庭には後に、鳥がしたうんちの中の種から育った様々な雑草が生え茂り、ツタが建築に絡み付く。浸食だ。それは家族の変化していく様そのものであるように思う。結局、その庭にしか向ける事の出来ない視線と共に家族は閉所恐怖症に陥っゆき、散り散りに家をでてゆく。そして最後は壊されていく。設計者はこれをvirtual houseのコンペティションに出品している。浅田明は設計者がアクチャルに建てられ壊される家を、ヴァーチャル化し、亡霊化させようとしていると解説している。
「中野本町の家」という本も、建築の本の中で、最高に面白い。住んでいた母娘のインタビュー。この本に載っているのは、異様な家に関する記述だ。むしろあまり家という感覚を持てなかったという娘の話からすると「異様な家という空間」に関する記述と言った方がいいかも。家である事は社会的に間違えがない。僕はというと、この家の続編が気になるのだ。続編という言い方は変かもしれないけど、この家に投げかけられた(家が投げかけてしまった)テーマ には続きがあるであろうと思ったのです。それはリンチの土の感覚とも共通する日常と非日常のトーラス状のループ感覚・
中野本町の家はシュールリアリスティックな印象も受ける。設計者の姉である施主がすごく夢見心地な(そして絶望的な)姿勢で、設計される過程で大きく関与している。次女は負のイメージで作られた家のコンセプトに因る強さが、20年住んだ家というものを越えてしまっていると述べている。これは近現代建築家が求めた目標であり、目から鱗である。ほんと。時間と経験の良い関係こそ良いとする家観をずばっと切り捨てるもの。「長く住むと味がでる家が結局いいよね」といったやつ。それにしても、マスコミは血相変えてアスベストの家とか叩くけど、中野本町の家の攻撃性はそれを遥かに越えている。家で暴力!かっこいい!優しさ込みだしね。あれですよ。人間不振な人になっちゃった人がSMに嵌って癒されていくという僕の好きな。
で、結局、先ほど説明した、リンチの「盛り土」と中野本町の家の「中庭の黒い土」は僕の中で近代を越える確かな物として注目する次第です。まず、近代の「衛生」とか「健康」のイメージと真っ向からぶつかる物だから。そして、より緻密な現実へと誘うから。なんか説明がだらだらしてる割に本質的な事、書き足りないというか内容薄いのだけどとりあえずこの辺で。もうちょっとこのテーマは暖めよう。










なんでわざわざここにコメントするかって?!そりゃあなた!!思春期をリンチ映像とフェティシズム漬けで育ち、小さな島をぐるぐると走って逃げ回っても一歩も逃げ出せない恐怖!と風化浸食していく希望・・・を味わったらさ。
そして盛り土!!!それは私のスペシャリティーなのよ!!知ってた?!
なるほど。
人食い珊瑚礁に囲まれた狂気の楽園って感じだね。
「風化浸食していく希望」って………恐ろしく、邪悪だね。
*『上方出身のボンボンのサーファー高校教師に握りつぶされたあたしのジェンダー。』*