
行ってきました。
ブルーノというチェコの街です。素晴らしかったです。近代の理念はファンスワース邸ならば、近代の美学はチューゲンハット邸によって示されているといえるかもしれません。代表作といえる住宅を2つ持っているってすごい。
やってる事はほとんどsannaとかででてくる事です。びっくりするぐらい現代の日本の建築の流行まんまですた。家具は1つの幾何学的な構成に纏められてスタンドアローンに配置する。動画的ではなく、ひたすら写実的な空間。いい意味でも、悪い意味でも全てをコントロールされているのが驚きます。パーフェクト!チューゲンハットさんが住んでいた時代の写真と何の代わり映えがしていないのにも感銘を受ける。David Lynchが、 建築は写真、映画と同様に記憶装置だと言ったんですが、生活者を予感させる記憶はほとんど微塵もありませんでした。
具体的に、いいなと思ったのは自動で下に引き込まれていく窓と、写真にあるような、スクリーンとしての温室。
前者はボタンを押したら、窓であった場所が全くの何もなくなる。まさに窓ではなく透明の「スキン」を感じさせる。こんなにスキンがあるのとないの(内部と外部)で、空気(いわゆる空間の質)が変わるのか!と、感動できる。これはある意味で、スキンの「実の存在感」を示し、もう一方で「虚の存在感」を感じる事が出来る。
後者はまさにミースの考える、美のためだけに存在する温室である。外の景色に一枚、違うスケールのみどりがインポーズされると、景色は激変される。これも「スキン」だと思う。先日パリのコルビジェの住んでいたアパートを見学したのだが、そこの窓はもろ外の営みを静止画的に捉えるピクチャー・ウィンドーであった。同じ近代の巨匠でも、ミースはより、家の外の景色を視覚的経験ではなく内部の空間作りに反映させるためのものとして使っていたのではないか。つまり景色を抽象的に扱っていたのであろう。
全面ガラスのファサードが内部空間を光で均質にするという思想が先に来ていて、その後、景色とかどうしようか?みたいな感じで後から来ている。
どれだけ美しいか、つまり、どれだけ僕等の「美」と、この住宅がもっている美が近いかは、是非、行ってみて体験してください。要予約です。










