2007年5月のアーカイブ

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ミース チューゲンハット邸

In 建築 on 5月 19, 2007 : chiguhagu

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行ってきました。

ブルーノというチェコの街です。素晴らしかったです。近代の理念はファンスワース邸ならば、近代の美学はチューゲンハット邸によって示されているといえるかもしれません。代表作といえる住宅を2つ持っているってすごい。

やってる事はほとんどsannaとかででてくる事です。びっくりするぐらい現代の日本の建築の流行まんまですた。家具は1つの幾何学的な構成に纏められてスタンドアローンに配置する。動画的ではなく、ひたすら写実的な空間。いい意味でも、悪い意味でも全てをコントロールされているのが驚きます。パーフェクト!チューゲンハットさんが住んでいた時代の写真と何の代わり映えがしていないのにも感銘を受ける。David Lynchが、 建築は写真、映画と同様に記憶装置だと言ったんですが、生活者を予感させる記憶はほとんど微塵もありませんでした。

具体的に、いいなと思ったのは自動で下に引き込まれていく窓と、写真にあるような、スクリーンとしての温室。

前者はボタンを押したら、窓であった場所が全くの何もなくなる。まさに窓ではなく透明の「スキン」を感じさせる。こんなにスキンがあるのとないの(内部と外部)で、空気(いわゆる空間の質)が変わるのか!と、感動できる。これはある意味で、スキンの「実の存在感」を示し、もう一方で「虚の存在感」を感じる事が出来る。

後者はまさにミースの考える、美のためだけに存在する温室である。外の景色に一枚、違うスケールのみどりがインポーズされると、景色は激変される。これも「スキン」だと思う。先日パリのコルビジェの住んでいたアパートを見学したのだが、そこの窓はもろ外の営みを静止画的に捉えるピクチャー・ウィンドーであった。同じ近代の巨匠でも、ミースはより、家の外の景色を視覚的経験ではなく内部の空間作りに反映させるためのものとして使っていたのではないか。つまり景色を抽象的に扱っていたのであろう。

全面ガラスのファサードが内部空間を光で均質にするという思想が先に来ていて、その後、景色とかどうしようか?みたいな感じで後から来ている。

どれだけ美しいか、つまり、どれだけ僕等の「美」と、この住宅がもっている美が近いかは、是非、行ってみて体験してください。要予約です。

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やっぱ顔って

In エロ on 5月 19, 2007 : chiguhagu

基本は左右のバランスですよね。でもマジ迫力すごい。

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世界の右翼化 -フランスの迷走-

In その他 on 5月 15, 2007 : chiguhagu

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先日フランス大統領選挙が行われ、ニコラ・サルコジが勝利した。この選挙は僕にとって、政治を学ぶ非常に良い経験となった。より具体的に得た物を述べると、フランスの政治、社会体制に対する知識と、自分が社会のマイノリティーである移民となった経験そのものであった。過去40年間でもっとも投票率の高かった選挙で、明確に右左の主張が別れた事が注目を集めたこの大統領選挙は、仮に僕に選挙権が与えられるなら?、もしくは与えられない現実、他国の国としての正義と外人である僕の距離感を構築する物について、考えさせられた。今回の右左の戦いは所謂抽象的な思想闘争を越えて、グローバリズム(主にグローバル資本主義イズム)とヒューマニズムの戦いであったという意味で、外国人である僕は否応無く考えさせられる事となったのであろう。

ちなみに、この選挙について学ぶ前にちょうど、3ヶ月ぐらい前に「日本とフランス 二つの民主主義  ~不平等か、不自由か~」と、「移民と現代フランス  ~フランスは住めば都か~」という本をよんでいた。これらの本は大いに選挙の背景を理解するのに助かった。よって本の説明をしていけば自ずと選挙の話になるので、書評から書き始める事にする。

前者 「二つの民主主義」はタイトル通り日本とフランスの政治比較を通して、日本の政治問題に一言申す的な本で語り口はイデオロギッシュで内容はあまり深くないが、政治に無知な僕には非常に分かりやすかった。主な主張は、政治には右と左があって、日本でのイメージである、天皇崇拝ほにゃららや、軍国主義賛成反対ほにゃららではなく、小さな国家(右)と大きな国家(左)、競争社会と高福祉社会か、についてのイデオロギー対立の国内に置ける相対しあう度合いを示す言葉(ex極右、中道)で、国に因ってその言葉が指し示す絶対値は違う。(例えばアメリカの左よりはヨーロッパの右の方が左である。)そして、それは最終的には自由民主主義化か平等民主主義かもしくは、不自由を求めるか、もしくは不平等を求めるか、というテーゼに行き着く。

フランスの三色旗は自由、平等、博愛を示す。そのように、ヨーロッパの選挙では、大きな国家(弱者に平等な社会を目指す国家)と小さな国家(強者がより富む事を目指す国家、その後弱者に再分配した方が弱者にとっても良いであろう、保守主義)の選択は伝統なのである。先日のフランス大統領選挙が注目を集めた大きな理由はまさに伝統の一戦であったからである。(ちなみに、日本は右翼左翼の選択肢がなく、オール右翼政党で構成され、例えば、民営の企業の国営化なんて、話にならないという価値観が定着している。この作者は右左の選択の無い選挙など、究極的には無くて良いとまで述べている。)皮肉な事に、イデオロギー的には右が保守で左が前衛とされているが、サルコジの大きな勝因は対立候補のロワイヤルよりフランスの現状を変える前衛的な主張にあった。 小泉前首相のときの選挙を想像してみると良い。サルコジは、「仏国民は変化を選んだ」と述べている。しかし、その変化が示す内容そのものが大きな問題の焦点であったことは言うまでもない。フランスの現状と期待された変化とは何であったのか。そしてどうやって変化を実施するか。それらを説明するには「移民と現代フランス」について説明する必要がある。フランスの社会問題は移民問題をなしには語れない。

「移民と現代フランス」は上智のフランス語学科教授ミュリエル・ジョリヴェの作品で、主にインタビューで構成されていて、あまりまとめられていないが、作者の語り口はパッションに溢れていて個人的には好み。1950年代にパリ北郊外に広がった工業地帯の労働者団地に、60年代に安い労働力としてマグレブ諸国(チュニジア・アルジェリア・モロッコ)からの人々が移住して、その後も中華系ベトナム系ポルトガル系など大量にフランスは移民を受け入れてきた。現在、移民の若者の多くは、既にフランスで生まれたフランス国籍を持った2、3世代目となっているが、そんな彼らに職がない事が非常に問題となっている。また、彼らの多くは家庭に未だに祖国の慣習(イスラム教、男尊女卑、一夫多妻性など)を抱えており、いずれの観衆も2世、3世目になってフリクションを起こしている。彼らは1世の時と比べて圧倒的に己を他のフランス人と相対化して眺める。フランスで生まれ、フランス人と共に育った彼らは、一方で自由に育っている白人を尻目に、家の家事や兄弟の世話を小さい頃からしなくてはならない。特にイスラム系の家庭に生まれたフランス人2世の女の子は悲惨である。処女のまま嫁に嫁ぐ事が何よりも家の誇りになるマグレブ文化において、初潮後の彼女達は家に監禁さながらの生活を送るケースも多くないらしい。結婚後初夜で血の付いたシーツの上で嫁の方の家族が踊る事もあるらしい。クリトリスを切断して、浮気を阻止したり。そんな彼女達の自殺率は、同年代のフランス人の女性よりも数倍高いという統計がある。そんなディープな移民問題で一番社会的に深刻なものは、やはり雇用における差別である。アフリカ系の肌やアフリカ系の名前を履歴に書くだけで、採用の可能性が大きく失われるのが現状らしい。これは間違いなく差別であるが、記憶に新しい、一昨年暮れのアフリカ系移民の若者の暴動の背景にはこの差別がある。暴動に参加した多くのアフリカ系の若者は郊外に住んでいる。80年代に移民の家族が移住してくる事を許された事により、マグレブから多くのの多妻家族たちが移住して来て、郊外がゲットー化してしまう。ある場所に集合した異種の物は常に社会的排除を容易に喰らってしまう。誰に怒るかすらわからない彼らは車や窓ガラスを破壊して回ったというわけだ。ちなみに、僕がパリにいる間もパリ北駅で暴動が起こったし、何よりサルコジが当選した日にバスティーユで若者と警察が衝突した。打ち込まれた催涙ガスは風に乗って友達の家に向かっていったのがショックでした。ちなみに日本での報道は明らかに湾曲されていた。当時パリは超危ない所だと思ってしまうような報道だったと記憶している。日本のメディアの性格がよくでてると思う。ちなみに日本人なら、不当な差別を仮に受けてもきっと大規模な暴動等しないが、やはり結局は大きな格差がある社会だと、前回の暴動のような発展の仕方を見せるんじゃないか、と僕個人は思っています。日本人はほとんどの人が政治の決定に少なからず関われているという認識が多少はあるんじゃないだろうか。MIXIやブログでこんなに大勢が謙虚さを少しも見せないで、あたかも自分の意見が正しいように、もしくは周りを煽るように、物申しているのは結構すごい社会だと思う。やはり未だにオール中流的意識はあるようです。

とにかくそんな彼ら郊外居住の暴動参加者を「社会のクズ」「ゴロツキ」呼ばわりしたのがフランス大統領に当確したニコラ・サルコジである。かれは当時、内務大臣であった。そんな彼が何故大統領に選ばれる事が出来たのか、日本人は不思議に思うかもしれない。僕も始めは不思議でした。しかし、若者も含めて、僕の周りにもサルコジを良しとする人は少なくないのです。大統領選挙はサルコジ対ロワイヤルという構図で53対47でサルコジに軍配が上がったが、実際はサルコジの独壇場であったようである。ロワイヤル票というのは結局多くは、反サルコジ票であり、ロワイヤルの政策を100%受け入れた人はあまりいないといわれている。彼女はエリート出身の伝統的な左翼大統領候補であり、福祉充実国家を目指したモラリストというイメージを受ける。現在のフランスではなく、未来のフランスのため、若者のための政治を主張に掲げていた彼女に対してサルコジは真っ向からぶつかった。結果的に弱者のためのための政治ではなく

、強者のための政治が国民に支持される事になる。それ自体が、国と国民が一対一の関係ではありえないという、多国籍企業の支配するグローバル資本主義を感じさせる。(すんごい左翼よりの視点で申し訳ないけど……)。といっても現実問題、ハイパフォーマンスな高福祉国家を理想にあげるリアリティーの無さも誰もが感じる事実であって、左翼の主張の脆さこそがサルコジにフランス国民が票を入れた原動力となったと、僕は思っている。彼は相当の実績をあげてきており、「やり手」というイメージは誰もが認めている。中道右派の英タイムズ(The Times)紙は社説で、サルコジ氏の勝利を「フランスの1つの時代にとって、最も重要な政治的変化」と呼び、『フランス版サッチャリズム』を受け入れる覚悟が必要だとフランス国民に呼びかけた。結局、弱者(移民)はグローバリズムの中、切り捨てられたという事になる。このことを先に「グローバリズムとヒューマニズムの戦い」と形容した。

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サルコが親米派である事以上のフランス国民がグローバリズムを選択した証拠は無いと思う。言い換えると自由民主主義の社会、自由競争社会である。世界で最後の平等民主主義の砦が崩れたと思った。イラク戦争のときあれほど米国に立ち向かい、米国帝国主義の歪んだ正義感を揺るがしたフランスが、超親米派の大統領に一夜のうちに変わってしまうのは非常に不思議なようにも思える。この点に置いて、政治は心底面白いと思ったし、同時にめちゃくちゃ恐ろしい。やはり、選挙は社会を変える力を大いに持っている。持っていないような錯覚に日本人がとらわれるのは日本人の選挙に本当の意味で選択が無いからだ。単一民族国家ならではの経験値不足であろうか。

(引用)「フランスの手厚い社会福祉が消滅して本当にいいのか? フランスが警察国家になるのを本当に望んでいるのか? ベルルスコーニ(前首相)のイタリアや、ブッシュのアメリカ合衆国と一緒になって、イラクでの長期戦にフランスが参加しても本当にいいのか? サルコジが大統領になれば、報道管制がしかれる」(引用)不法移民の徹底的な排斥や、外国人と結婚したカップルへの監視強化、犯罪の厳罰化、警察力の強化はジャンマリー・ルペン党首(78)が率いる極右政党「国民戦線」の政策を取り入れたものだ。ゆえに、ヴォワイネ氏はサルコジ氏の「極右との結託」を指弾する。(引用)サルコジ候補が政策に掲げ、内務大臣として実行してきた不法移民に対する徹底した排斥や、移民系若者に対する警察による抑圧、移民の選別・規制、犯罪の厳罰化による治安改善など、どれも「国民戦線」のジャンマリー・ルペン党首が長年、主張してきたことです。決選投票は「サルコジ・ルペン連合」対「フランスの民主主義・連合」という構図です。(引用)暴動がまだ鎮火していなかった11月12日に大手世論調査・イプソスが有権者958人、電話調査を行った。「サルコジ内相の手法に賛成か?」という設問に対し、フランス共産党の支持者は43%のみが支持すると回答した。フランス人を驚かせたのは、「極右支持者」のうち97%が内相を支持すると述べたことだ。(引用)サルコジ氏の強硬路線は極右から熱烈な支持を集めた。2007年大統領選挙で勝つために、サルコジ氏が極右層への浸透を狙っていることは誰の目からも明らかだった。暴動時に強硬路線を一貫したのは、極右を意識してのことだという推測がフランスで広がった。(引用)「次のテーマではどちらの候補が期待できるか」という質問では、サルコジ氏が「治安対策」や「移民対策」「国の負債(削減)」「欧州建設」「年金」「景気対策」「失業対策」でロワイヤル氏に対する信頼を上回った。ロワイヤル氏に対しては、「環境問題」「学校・教育問題」で、サルコジ氏より多くの人が「信頼する」と答えた。(引用)

この選挙においてEUの問題も大きな焦点の一つだ。先にEU憲法をフランスが国民投票で否決した事を覚えているだろうか。その後、フランスはEU内の求心力を失ってしまった。なんで否決したか、サルコの選出と同時に考えるとこんがらがるのだが、EU内の自由取引が過剰すぎて(自由主義すぎて)平等主義が失われるというものと、移民が流入してくる事に対する反発であろう。(今は、逆の立場になってしまった。)サルコが選挙の勝利宣言において「EUをフランスに引き戻した」と言っていたのがとても印象的だった。この事からも今、フランスはいかにやばい国で、混乱しているかが分かる。アートとか建築もいけてないし、どうしようもない。でも、なんかそのやばさは日本っぽい親しみも感じてしまう。同レベル?いや、違うだろ。日本の方が、民度も政治も圧倒的に未熟で、フランスの方が地理学的にも難しい命題が突きつけられているだけであろう。

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最後に旧ユーゴの大統領、コソボ、ボスニア・ヘルチェゴビナでの戦争を率いた吸血鬼と称されるミロシェビッチの話との関連性が気になった。http://tanakanews.com/990401yugo.htm このホームページに書かれているように、政治家の利権の理由で紛争が起こって、その際難民がを生じるたのだが、彼らは当然、家も食料も仕事も無い。そんな彼らを迎え入れて、補助を与え、更に選挙権を与える。それにより、ミロシェビッチの支持者が膨らんだらしい。終わってみると、ミロシェビッチの支持は紛争前より増えているのだから、政治家としてはプロである。彼のせいで難民になってしまったのに、そんなことはいつも大衆は忘れてしまうらしい。これはサルコジの戦略に類似する点が多々あるのが気になる。有権者は生活の余裕と比例して目の前の政治の奥をみる。逆に言うと、余裕が無い人たちにはまず政治の真意を読む能力は無い、もしくは選択肢が無い。政治家は甘い蜜を用意できる。こういうサルコジに対する文章を見つけた。『国民が将来に対して漠然ともつ不安を利用することから成っているのだが、そういった漠然とした不安に任意の実体を与えることで、それに対する恐怖心を植えつけ、「それを取り除くことができるのは私だけですよ、信じてください」というわけである。まったくもって、扇動家の得意とする自作自演のメソードである。』これは、ミロシェビッチにも言える事だし、小泉元首相にも言える事である。右翼家のお得意の手法なのである。結局社会が不安定なときにこの「メソード」はすごく有効になってくる。論理的に、倫理的に正しいとか、正しくないとかいう前にテクニックとして、大衆をコントロールできるわけである。これはめちゃくちゃ禁じ手だと思う。ポピュリストともいう。政治家はこういう事だけはやってほしくない。
とにかく、フランスは明らかに右化の傾向にある。日本も同様である。それはグローバリズムの流れと、それに伴う人口大移動が背景にある。その先に待っているのは戦争といういつものお決まりパターンなのであろうか?いつでも知識人はポピュリスティックな政治家の弁に敗北している。今のところ、状況は悪化していくだろう。フランスにいると、そんな事を考えてしまう。

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dirty Sarajevo

In 都市 on 5月 13, 2007 : chiguhagu

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この旅行で、相当数の都市を見て来たが、サラエボはその中でも非常に印象的だった。

まず、サラエボの背景を説明すると、ボスニア・ヘルツェゴビナは1992年から95年まで1000日間ほど上のマップのようにセルビア人に包囲された。サラエボ問題は非常に複雑だが一言でいうと、「民族浄化(エスニック・クレンジング)」のための紛争であった。元々、第2次大戦後に成立した旧ユーゴスラビアは、「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗 教、2つの文字、1つの国家」という表現に示される複合的な国家であった。ボスニアは旧ユーゴスラビアの中間に位置するので多民族国家ユーゴスラビアの中でも最も民族が混住し ていた地域(約4割のスラブ系ムスリム人、約3割のセルビア人、約2割のクロアチア人)であり、民族名ではなく地域名を国名としていた。サラエボの紛争は、最初にセルビア人共和国と旧連邦軍(クロアチア〜ムスリム連合)が地区の70%を占 領したことで、内戦は混迷を深め、その後、それぞれの民族(スラブ系ムスリム、クロアチア人、セルビア人)によって、三つ巴、他民族の虐殺「民族浄化」が行われた。とにかくこの都市のすり鉢状の地形的な特徴がこの最悪の包囲網(セルビア人、ムスリム人)を生んでしまった。釣り堀の魚のように?、クロアチア人はこの包囲網の中、電気や水がほとんどない中、自給自足かつ命がけで生活しなければならなかった。周りの山や廃墟の高層ビルにはスナイパーが潜んでおり、大通り等視界の開けている場所(その中でも最も危険とされたチトー大通りは通称「スナイパー通り」)では動く者は全て射殺されたという。パリではほとんどスナイパー通りになってしまいますね。犠牲者はサラエボだけで16,800〜20,000人と言われており、ボスニア紛争全体では20万人と言われている。封鎖中あまりの死者の多さと土地の無さにオリンピックのグラウンドが墓地として使われ、今でもそれを見る事が出来る。多くの墓には1992〜1994という数字が刻まれている。

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停戦が終結したのは1995年だから既に12年もたっているが、未だに銃痕が生々しく建物をえぐっている。2004年のデータだと失業率は40%強というから本当にお金がなく、ある意味現状をかなり正確に保存していると言っていい。アートみたいな負の遺産をポジティブに変えてしまおうという試みも見当たらなかった。だから行ってみるとおもしろい。人が生活しているし、観光客もそれなりにいるので、ネクロポリス(死の都市)というのでは無くて、負傷した都市と言った感じが近いと思う。もののけ姫のアシタカが腕に受けた呪いのように、傷は癒えていくのではなく悪くなっているようにも思った。実際は経済成長率が5%ぐらいあるのだけど、弾痕というのは建て直すほどの傷ではなく、しかし確実に街の雰囲気を支配する意匠のようにも機能している。そこが興味深い。更にその傷が、人間の行為だと思うと尚更だ。

しかし、個人的には都市が表象する人間の残虐さを感じようと思うなら、アルハンブラ宮殿のあるグラナダがお勧めだ。真っ白のメディアが中世の戦争時、真っ赤に染まったという話を聞いたあと、その美しい白い街を宮殿から眺めると、もの凄いショックを受けた思い出がある。グラナダのメディナは美しいが、サラエボは見事に醜い。その醜さが、近代以降の戦争というものかもしれない。

※(ネットから抜粋) ちなみに誤解が多いと思うので書くが、ここでいう「ムスリム人」というのは、外見、人種、言語ともほぼセルビア〜クロアチア人と同じだが、宗教によって 「別民族」とされている人たちのことである。もっと書けば「クロアチア人」と「セルビア人」というのも、その差は「カソリック教徒」か、「セルビア正教 徒」か、ということになる。

ユーゴスラビアでは全人民防衛体制が敷かれていたため各行政単位ごとに武器が保管されており、紛争開始と同時にその武器が瞬く間に市民一人一人の 手に広まってしまった。その中で極右民族主義勢力が武力闘争を主導し、民族主義政治勢力がメディアによるプロパガンダで民族対立をあおりたて、市民たちは 「やらなければやられる」立場に追い込まれてしまった。セルビア人勢力にはセルビア共和国が、クロアチア人勢力にはクロアチア共和国が支援を行い、ムスリム勢力にはムスリム諸国から義勇兵(ムジャ ヒディン)が入ることで紛争は泥沼に突入していく。

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写真はアスファルトに残る重火器による炸裂の痕跡。銃痕の中ではひときわ美しい。

ps グラナダ

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