パリから電車で1時間の街、オルレアンで毎年アーキラボ展が行われる。今年はたまたま、日本人特集であったので、若干誇らしげな気分で会場へと足を運んだ。
これほど日本人の模型が集まる事は見た事が無かったので、知ったプロジェクトがほとんどであったが、非常に面白かった。自らの作品を輸出する気持ちでか、日本では個展レベルの気合いの入った模型が並んでいたが、特に僕が興味を持ったのは「MIKAN」である。


写真のように、壁は布で作られていて、めくれるようになっているのだが、一見何がコンセプトか非常に伝わりにくい。というのは、各住戸のコンセプトを伝える気がないのである。
一瞬戸惑ったが、つまり「コンセプトが無い」というコンセプトの展示だったのではないだろうか?これは、良い家と面白いコンセプトのギャップに対する批評を投げかける。別に彼らの住宅自体にコンセプトが無い訳ではない。しかし、それ自体に焦点を当てない態度は他の建築家と明らかに、一線を画していた。それが僕は好みかといったら違うし、この展覧会自体の総評的には、ペット・アーキテクチャーやユニット派など、ポスト巨匠世代の寄せ集めると集合として一つの巨匠的作家性を持つという、今までの作家論的には世にも奇妙な作家性が浮き彫りになった画期的な展覧会ではなかったか?という見方をしていて、日本の成熟を一人で祝っていたので、MIKANはむしろ浮いている。
なのに取り上げたのは、彼らが現代のフランスの作家と非常に近い位置にいるからと思ったからである。MIKANにマニュエル・タルディッツがいるのも関係がない訳ではないだろう。
まぁざっくり言うと、現代フランス建築界は「普通さ」であふれているのだ。
その代表作家として注目しているのが「パレ・ド・トウキョウ」の改修でも有名なLACATON&VASSALである。

彼らの態度は、徹底的に見てくれを考えない事にある。
“When you are on a beautiful carpet placed directly on the sand, with maybe some beautiful women, drinking some tea and with some very nice music, it’s really luxurious.”
ちなみに僕も大学2年のころ、後藤武に、良い建築的空間より、良い音楽やかわいい女の子が居る方が良い空間じゃないですか? と聞いたところ、「建築家には建築家の職能があるから、それをやるのみ」と言われたのを覚えているが、そのパラドクスを解く作業を彼らが建築家という職能としてプロフェッショナルにやっているのだろう。
それに付いての言及がこれ
“I think luxury is not related to materiality, it’s just some incredible situations. And as architects, you have to produce incredible situations.”
&抜粋
「They showing how its ideas of economy and often cheap and basic construction techniques can make as much sense in Europe as in Africa.」
またまた抜粋、
Andreas Ruby, who has written extensively about their work, says that their ideas of economy are a threat to the French architectural establishment, and they are thus seen as outsiders. “There is a clear line of criticism in France. French architects find Lacaton and Vassal’s position problematic as it gives politicians reasons to cut budgets. If, as they are doing in Nantes architecture school, you can give twice the space for the same budget, why not cut the budget in half? This is the big fear. But on a more subconscious level, their aesthetic of roughness is not like the typical French elegance of Perrault or Nouvel.”
ここらで説明すると、バッサルはモロッコで生まれて、アフリカでプロジェクトをしていた特殊な経験もあるフランス人である。アフリカの厳しい気候と限られた素材において、経済的かつ恒久的な建築が必然的に求められたらしく、ドローイングなしで建築を建てると断言している。そのかわり、ディスカッションは死ぬほどするとか。かつて、ドローイングを書かずに有名になった建築家がどれほどいたか、考えると、いかに彼らが面白い建築家か分かってもらえるだろうか。
激しく予算を削っていく手法が表現として認められた背景には、どうやらフランスの現代建築界の興味がそこにあるからである。
僕が、フランスの建築を研究しているフランス人になぜフランス建築はextreamでないものを作っているのか聞いたところ、彼らは今、政治に興味があるからだと言われた。
まさにそのような事が Andreas Rubyの発言にも書いてあったので、どうやらそこが核心らしい。
その政治的な事についてvassalはこう述べている。
“The question of the money is not to work with less money, [it] is to do the maximum with the money you have. If you have a lot of money you can do more and more.”
ようするに、フランス現代建築界は、anti-ザハ・ハディド anti-フランク・ゲーリーが吹き荒れているのだ。結果、普通の建築が出来るって所が今回のポイントで、う〜ん、おもしろい。MIKANは表現のメタレベルで普通を押し出してるのに対して、LACATONは政治レベルで普通を作っている。両者はメッセージの方法こそ違えど、出発点も過程も結果も非常に似ているのだ。北山、難波〜とかはこんなフランスの心情にぴったり来るのではないか?まぁパリに今度ゲーリー×LOUIS VUITTONで美術館で来ますけど‥‥‥。
前回のブログで、建築の自動生成を想定してデザインしている建築家について書いたが、フランスは逆にもっともっと現実的で、建築デザイン(ハード)の無力さを 後期近代、メタボリなどのメガストラクチャーの都市から学び、ソフトウェア志向でそれを実践しているのではないか?
これを建築家としてどう受けるかは非常に問われるところである。
詳しく知りたいならhttp://www.icon-magazine.co.uk/issues/020/lacaton.htmこれなので。